地域間交流を考える
2008/6/18
-麻生区細山と荒川区町屋-
<はじめに>
地理的な条件を見てみると、我々の住む麻生区は、横浜市をはじめ町田市・稲城市・多摩市といった他自治体と市境、都県境を複雑に接し合っていて、こ うした広域行政間での市民サービス連携の充実の必要性については、私の市議会議員就任以来の課題、ライフワークと考えているところであります。 今、開会 中の議会の代表質問でも周辺自治体との連携について質問を行ったところであります。
さて、今回の「地域間交流を考える-麻生区細山と荒川区町屋-」では、少し趣きを変えまして、地理的にはまったく接しあっていない、地域間の交流であります。
細山はご存知のように、遊園地のよみうりランドに隣接して南側に広がる地域です、そして荒川区の町屋はというと、地下鉄千代田線で北千住のひとつ手前の駅、麻生区側からみると東京都でも本当に反対側にある町ということになります。
<細山と町屋の交流とは>
こうした地理的には離れている地域でどんな交流があるのかというと、御神輿なんです。
昭和40年代まで町屋の新地町会では町会神輿が担がれていましたが、日本の高度成長期とともに進んでいった生活形態の変化からか、年々担ぎ手が減少し、路地も狭くなってきたことから、ついには町内神輿渡御をすることができなくなってしまいました。
神輿の処遇に困った当時の町会長さんが、細山の御嶽神社の総代さんと知り合いだったことから、昭和45年にそのお神輿を細山御岳神社に寄贈することにしました。
その後、お神輿は長いこと御嶽神社の蔵で静かに保管されていましたが、昭和60年頃に細山・金程・向原地区の鎮守である細山神明社の例大祭を盛り上げよう ということになり、御嶽講中・細山神明社氏子の了解を得て毎年秋に行われる細山神明社例大祭で、このお神輿を担ぐことになりました。
そして月日が流れ平成10年、お神輿を担ぐ人も戻ってきた町屋新地町会から、先代達が担いでいたお神輿を担ぎたいという申し入れがあり、細山神明社の例大 祭に町屋からの担ぎ手が参加しました、そのお返しの意味もこめて翌年の夏に行われる町屋の天王祭に細山から有志が参加、そうしたきっかけから以来、お神輿 を通しての細山と町屋の交流が続いています。
<天王祭(素盞雄(すさのお)神社例大祭)>
さる、6月7日(土)に天王祭(素盞雄(すさのお)神社例大祭)が行われました。
平成17年、平成20年(3年に一度の開催)。大祭(本祭)以外の年は陰祭となり、町会神輿は出るが、本社神輿は出ない。
神輿
明治10年、市川市本行徳の10代浅子周慶の作。昭和63年、13代浅子周慶が大修繕。 重量は千貫(3750kg)。二天棒(担ぎ棒が2本)
<神輿振り>
千貫の神輿を二天棒で担ぎ、約70人の担ぎ手が神輿を左右交互に倒し振りあう。「神輿振り」は、勇壮で有名。氏子の町内神輿から子ども神輿まですべて二天棒。今にも倒れそうなところまで振るのが、カッコイイ
<本社神輿を担ぎました>
「神輿振り」を経験させてもらいました。
スクワットの連続です、へたに膝を割ると立てなくなるよと、入る前に注意をうけました。
大勢の人が担いでいるとはいえ、千貫神輿です、かなり負担がかかりました。
担ぎ終わって、ほっと一息の伊藤ひさしです。
<本社神輿が都会を行く>
高層マンションの間を渡御する本社神輿。
時代の流れを、どのように見てきたのでしょうか?
この先には、都電荒川線の踏み切りもあり、時代がぶつかりあっているような感じです。
<町屋の町会神輿渡御>
夕方からは、宵宮となり各町会の迷路?のように入り組んだ路地を神輿が練り歩きます。
昼間の神輿は町屋の白い半纏でないと肩は入れられませんが、宵宮では町屋さんのご好意で細山の半纏でもこうして担げます。